にいがたニナイビト
NPO・地域づくり支援
2019.04.25
「ここにしかない価値」をこしゃる(つくる)のは、楽しみかた次第
小千谷市
地域づくり支援団体こしゃる 事務局長
髙木 健太さん
髙木 健太さん
まちづくりとの出会い
地域づくり支援団体こしゃるは、小千谷市で「まちの一人ひとりが主役となり、自分たちでまちを創る社会をつくる」をビジョンに活動している団体だ。2018年4月に設立され、中間支援組織として市民活動のサポート、人や団体のマッチング等を行なっている。小千谷の方言で「つくる」という意味の「こしゃる」を団体名に掲げ、活動している髙木健太さんに、活動や想いについて伺った。
こしゃるの事務局長を勤める髙木さんは群馬県出身で、以前は東京で医療や福祉の仕事に就いていた。元々、地域づくりやまちづくりといった活動に関わったことはなかったが、デイサービス勤務の経験から、利用者である高齢者が暮らす地域について知る必要性を感じたり、1年ほど医療の現場を離れフリーランスのイベンターとして働いた経験から、まちを舞台に活動することのおもしろさを感じたそうだ。地域やまちに興味を持ち始めていたこの頃、偶然新聞で見かけた地域の交流イベントに飛び込んだが、そこで初めて参加したワークショップはとても刺激的で、毎月顔を出すようになると、横のつながりがどんどんできていった。「今思い返すと、ここから地域がおもしろくなってきた。知り合いも増えて、実はそこで嫁さんとも出会いました」と髙木さんは振り返る。
積極的に地域の活動に参加しながら、髙木さんは当時暮らしていた東京都杉並区で任意団体、「わぐわぐwoks」を立ち上げた。杉並区のまちづくりや、小千谷市と杉並区をつなぐ活動を行なう団体で、活動先に小千谷を選んだ理由は、ある飲み会で小千谷市の職員から声をかけられたことがきっかけだ。「本当に運命だった。違う地域から声がかかっていたら、そちらに行くことになっただろう」と髙木さんは言う。杉並区の若者を小千谷に連れていって交流をしたり、杉並区の中学生が小千谷産野菜のパッケージをデザインし、様々な活動をしながら毎月のように小千谷に通う生活が2年ほど続いた。
こしゃるの事務局長を勤める髙木さんは群馬県出身で、以前は東京で医療や福祉の仕事に就いていた。元々、地域づくりやまちづくりといった活動に関わったことはなかったが、デイサービス勤務の経験から、利用者である高齢者が暮らす地域について知る必要性を感じたり、1年ほど医療の現場を離れフリーランスのイベンターとして働いた経験から、まちを舞台に活動することのおもしろさを感じたそうだ。地域やまちに興味を持ち始めていたこの頃、偶然新聞で見かけた地域の交流イベントに飛び込んだが、そこで初めて参加したワークショップはとても刺激的で、毎月顔を出すようになると、横のつながりがどんどんできていった。「今思い返すと、ここから地域がおもしろくなってきた。知り合いも増えて、実はそこで嫁さんとも出会いました」と髙木さんは振り返る。
積極的に地域の活動に参加しながら、髙木さんは当時暮らしていた東京都杉並区で任意団体、「わぐわぐwoks」を立ち上げた。杉並区のまちづくりや、小千谷市と杉並区をつなぐ活動を行なう団体で、活動先に小千谷を選んだ理由は、ある飲み会で小千谷市の職員から声をかけられたことがきっかけだ。「本当に運命だった。違う地域から声がかかっていたら、そちらに行くことになっただろう」と髙木さんは言う。杉並区の若者を小千谷に連れていって交流をしたり、杉並区の中学生が小千谷産野菜のパッケージをデザインし、様々な活動をしながら毎月のように小千谷に通う生活が2年ほど続いた。
小千谷へ移住!
なりゆきで小千谷と関わっていく中で、小千谷市から「こしゃる」の立ち上げに加わってほしいと誘われた。髙木さんはすぐ、小千谷のまちづくりをサポートする団体をつくるという話に魅力を感じたそうだが、実はこのとき、医療の仕事でもある企画が通り、親会社から本格的な事業を任せたいという話が持ち掛けられていた。「決断の時って重なる。悩んだけど、自分で選択しないときっと後悔する、自分が一番おもしろいと思うものを選びたい」と、髙木さんは「こしゃる」立ち上げに加わることを決めた。都会育ちの奥さんのご両親からは心配もされたが、最終的には家族みんなが髙木さんのやりたいことを応援してくれ、小千谷へ移住することとなった。
「こしゃる」の事務局長になってから、最も印象的だったことは山本山まつり&クラインガルデン収穫祭だ。まつりの開催が他のイベントと重なってしまうがどうしたらいいか、という相談があったのだが、この時の髙木さんは移住して日が浅く、詳細が分からない中での相談はプレッシャーも感じたそうだ。しかし、髙木さんの「日程が重なるイベント同士が連携してはどうか」というアイディアのもと、当日は両会場を行き来するシャトルバスを出し、結果的には各イベントにとって過去最大規模で開催することができた。相談者から「ずっと地域にいる自分達では気づかないことも多い。外からきた髙木さんたちがいてくれてよかった」と言われたときはすごく嬉しかったし、東京で働いていたときのつながりを活かして、障害を持つ子どもたちがダンスを披露するブースを出せたことは、自分が東京で築いた関係が小千谷とつながった実感となり、ひとつの地域に留まらない活動の広がりに楽しさとやりがいを感じたという。
「こしゃる」の事務局長になってから、最も印象的だったことは山本山まつり&クラインガルデン収穫祭だ。まつりの開催が他のイベントと重なってしまうがどうしたらいいか、という相談があったのだが、この時の髙木さんは移住して日が浅く、詳細が分からない中での相談はプレッシャーも感じたそうだ。しかし、髙木さんの「日程が重なるイベント同士が連携してはどうか」というアイディアのもと、当日は両会場を行き来するシャトルバスを出し、結果的には各イベントにとって過去最大規模で開催することができた。相談者から「ずっと地域にいる自分達では気づかないことも多い。外からきた髙木さんたちがいてくれてよかった」と言われたときはすごく嬉しかったし、東京で働いていたときのつながりを活かして、障害を持つ子どもたちがダンスを披露するブースを出せたことは、自分が東京で築いた関係が小千谷とつながった実感となり、ひとつの地域に留まらない活動の広がりに楽しさとやりがいを感じたという。
こしゃるらしさを持ち続けたい
様々な活動をこしゃるで行ないながら、この半年で髙木さんが課題だと感じているのは、中間支援という仕事は正解が分からないし、成果が見えづらい、ということだ。「小千谷に来たばかりでどんな人がいるかもよく分からず、地域の反応を見るために様々なジャンルのイベントをたくさん開催しています。まだまだトライ&エラーを繰り返している段階です」と言う髙木さんに、今後の目標を、伺った。
「こしゃるで活動を始めて、自分のやりたいことを見失って迷子になりそうな時がある。他人の相談ごとを自分のことのように思って寄り添うけれど、自分のやりたいことを常にもっていたい。いつも同調するだけだったり、当たり障りないことを言ったり、ただつなぐだけなら誰でもできる。こしゃるなりの色をもって、こしゃるらしい視点から支援ができたらいい。」
また、「正直、新潟はどこも米どころ。小千谷名物のニシキゴイは長岡でも見られる。ここにしかないもの、という価値をつくるのは、どれだけ楽しめるかにかかっている。ありふれるものも、楽しみ方次第で変わるもの。だから、小千谷の人にどんどん身近なものを楽しんで欲しいし、そういう人を応援して、元気な小千谷を目指したい」と髙木さんは熱く語った。
地域づくり支援団体こしゃる
http://ojiya-kosharu.com
「こしゃるで活動を始めて、自分のやりたいことを見失って迷子になりそうな時がある。他人の相談ごとを自分のことのように思って寄り添うけれど、自分のやりたいことを常にもっていたい。いつも同調するだけだったり、当たり障りないことを言ったり、ただつなぐだけなら誰でもできる。こしゃるなりの色をもって、こしゃるらしい視点から支援ができたらいい。」
また、「正直、新潟はどこも米どころ。小千谷名物のニシキゴイは長岡でも見られる。ここにしかないもの、という価値をつくるのは、どれだけ楽しめるかにかかっている。ありふれるものも、楽しみ方次第で変わるもの。だから、小千谷の人にどんどん身近なものを楽しんで欲しいし、そういう人を応援して、元気な小千谷を目指したい」と髙木さんは熱く語った。
地域づくり支援団体こしゃる
http://ojiya-kosharu.com